●風間旅人随想

『仮説会議』とはどういうものなのか、また、MAO(自分自身との対話)をしてする仮説会議のポイントを教えて下さい。
私が提唱している『仮説会議』についての質問です。

動員をかけていて、相手がどういうときに出てくる(応じる)か、どういうときに出てこない(応じない)のかというと、誘いに魅力を感じれば出てきますし、魅力がないときは来ないだけの話です。こういうことをみんなで考える場が仮説会議です。

お客さんはこういうときに来ようと思うか思わないかはいったいどこにあるかというと、「行ったらどんなおもしろいことがあるかな」とか、「自分が片付けたいことが片付くかな」とか、そこに何かの価値を見出すか、魅力を見出すかどうかだと思います。

その細かいところをMAOしたら(自分に聞いたら)よいのです。「こういう場合、こういうふうに言われるとうれしいよね」という感じかな。

大概に言えるのは、褒められるとうれしいですよね。けなされると嫌だけど、もっと嫌なのは無視されることですね。とにかく、呼びかけてその人がやって来たら絶対に無視しないことです。「本当にあの人が来たよ」とビックリしてしまって、こっちの方がうろたえて声をかけられなかったら、その人はもう二度と来ません。やっとの念いで来た人には、「よく来てくれました。どうぞ、どうぞ」という、そういうふうに、そこにいる間中、念いをかけてあげると、その人はまた来ようと思いますね。

こんなことを前もって仮に考えることです。「来たときはどうする?」ということを話し合う場です。仮に説を立てる会議です。仮設トイレの仮設ではなく、仮説の会議です。

目の前のことは描けるのですが、その目の前のことが動くということは次もこう動くよね、そして結局こうなるよね、などということを描かないでその場を迎えると、まさに「ほったらかし」になります。

その人がやって来て、「いらっしゃいませ」とニコッと笑うところまでみんなは想定していますが、その後どうするのか。言ったきり何も案内しなかったとか、わからないことをちゃんと説明できなかったとか、教えてあげなかったらほったらかしにされたと思ってしまいますから、そういうことも全部想定して、最後の最後まで描いて、「こうだよね、こうだよね。帰っていく。それを見送るよね」と、そこまで全部想定して手を打つ。そのために仮説会議を開くのです。

そうすると、人間にはいろいろな人がいると思いますが、そんなにたくさんの種類はいません。こういうときはこのように動くというのがだいたい決まっています。そういうことがわかります。何度かそれを想定しておくと、「これはこのように手を打たなければいけない」というのがわかってきます。

MAOをしてする仮説会議というよりも、仮説会議そのものがよくわかっていないと思います。お客さんの気持ちを先回りして読むこと。これが仮説ですね。

今回は誰々さんと誰々さんに声をかけているから、来るかもしれないからね。来たとするじゃない?そうしたらここでまず戸惑うから、受付をさせてサッと案内してね。講演のときはいいけど、終わったら「どうでしたか?」とニコッと笑って声をかける。「また、お待ちしています」と言って送り出すところまで一応想定しておかないとね。と、そういうことをすることです。

ここで、「この人はどういうふうに声をかけると喜ぶかな」ということをMAOしてください。この人にだけ通用する言葉というのをMAOしたらいいと思いますね。MAOしたらわかります。

しばらく来ていない人が来たら、気持ちとしてはその人は「来てやった」と思っています、言葉は悪いけど。どの程度自分を扱ってくれるかなというのが一つは不安で、一つは期待で、そう思いながらおそるおそる来ていますから、それをいい方に裏切ってあげないとね。ややこしいですが。
(西)