■風間旅人随想

小学3年生だったと思う。担任の先生が授業の中で唐突に話した。「時間ちゅうのは、ほんとは無いんだ。あるのは、時だけなんだ」と。

びっくり仰天したが、強烈に引きつけられた。「どういうこと?」と、その先を聞きたかったが、先生はそれ以上はしゃべらなかった。以来、この場面を私は忘れたことがない。折に触れ思い出すのだ。

全知全能とは「無」である。そうおもう。

遠く目の前をクルマが走っていくのが見える。A地点からB地点へ、そしてC地点へとクルマが移動していくように見える。A地点という「時」、B地点という「時」、そしてC地点という「時」を順に移っていくから、動いているように見えるだけで、実際は点の連続でしかない。今という現実に連続が動いているように見えるのだとおもう。時と時の間を「時間」というのだから、担任の先生が言いたかったことは現実には今という点しか存在せず、「時と時の間」という意味の「時間」というものは想像でしかなく、存在しないと言いたかったのだろう。

遠く目の前のクルマが速度を増して移動するとしたら、300キロ、500キロ、時速1000キロ以上になったら、おそらく姿が見えなくなる。時から時、点から点の移動の速度がさらに極限にまで至ったらクルマの姿が消える。無になったように見える。

無になったように見えるだけで実際には在る。在るのだけど無いように見える。「在るけど無」が全知全能というわけだ。無限として在る。それこそ、神の領域である。

神は点、時に関わる。人は常に在る。モノとして有限に在る。人が関わるのは面、時間(時と時の間)だ。人は、在るから悩む。考えるから迷う。全知全能に近づくためには、瞬殺で決める。あと伸ばしにしない。人が全知全能になれない理由が、そこにある。

人は全知全能に近づくためにと瞑想法を開発した。呼吸法を編みだした。自分自身と一体になって、仏と一体になって、神と一体になって、瞬時に決断する方法を開発したのだ。

私が提唱している魂基準の生き方提案MAO(自分と対話する方法)は極めて有効なその手段の一つである。

スタッフからこんなメールをもらった。「昨日夜ふと、従業員全員が自分の魂と会話できる会社って改めて考えるとすごいことだよなと思いました。会長が書かれた『事業経営計画書』も秘伝の書レベルですが、誰でも買えるってすごいです。こんなすごいところではたらきをいただいていてありがたいです。」
(西)