■風間旅人随想

「生まれることは死ぬことである」と納得しなければなりません。このことは意味のないことです。無意味です。納得したくないことです。生まれたら永遠に生き続けるものだと思いたい。しかし、こう納得しなければなりません。これが一つの矛盾です。

そして、成長するということは、次第に死に近づくことであると納得しなければならない。これも矛盾します。

何が問題かというと、生と死というものが並列していることが問題なのです。生まれることと死ぬことが同居している(同然としてある)ことが、矛盾の根源であるということなのです。しかしこの問題について考えてくると哲学の世界に入ったり、宗教の世界に入ったり、あるいは芸術で片づけるしかない、というふうに、あいまいなままに片づけるしかなかったわけです。

私も、中学生の頃だったと思うのですが、人間はせっかく生まれてきたのにどうして死ななければならないのだろう、とずいぶん悩みました。受験勉強なんかそっちのけです。考えれば考えるほど、頭が変になりそうで、狂ってしまいそうな恐怖感に苛まれて、そんなことを考えるのはやめました。

ひとまず置いた形で大学を出て、社会に出ました。社会に出ると、とりあえず食べていくために、つまり稼ぐためにどうしたらよいか、仕事をするにはどうしたらよいかと、そのことだけに集中しました。

一生懸命に仕事に取り組んでいるうちにいつの間にか忘れていたのですが、ふっと「なんで死ぬのだろう。こんなにがんばってこれだけ成果を上げたとしても、いずれは死ぬんだよね」と、こころのどこかで思っている自分がいました。

そういうことで、43歳のときに生き方提案の達弥西心として起って、一番に尋ねたことがこれです。このことです。「人間はどうして死んでいくのでしょうか」とMAOして(自分の魂と対話して)聞きました。

そうすると実にあっさりと答えてくれました。「それはおまえが生まれてきたからだ」。私は不思議なことに「ああそうなんだ」と思った。生まれてこなければ死ぬこともありません。生まれてきたから死ぬのだということです。

さらに「どうして生まれてきたら死ぬのですか」と聞くと、「もともとお前はこの世にはいなかっただろう?宇宙にはお前という存在はなかったんだよ」というのです。もともと何もいない(無い)というのが宇宙の概念です。そこに在らせてもらったというか、あることがなかなかないことをしてもらったわけで、無いところに在らせてもらったということは、どこかで仕舞っておかなければなりません。ある時期が来たら仕舞っておかなければならない、ということです。仕舞うということはこの世を去っていくということです。そうしなければ次に出てくる人たちの場がありません。次に譲っていくために自分たちが去っていくのだよ、ということを教えられました。

無いところに在らせてもらったのだから無いに戻しておかなければいけないのだなと、考えてみればとても単純なことで、「ああ、そうなのか」と思ったのです。
(西)